「スウィート・リベンジ」 のふたり。はじめてのクリスマス(聖誕祭)……は一緒には過ごしませんでした。だってアルジーはクリスマスは、クリスティナと過ごす予定だったから。さてそれでも……☆アルジー・サイドから……クリスマス・シーズンの物語。時間的には「スウィート・リベンジ」よりも約九ヶ月前☆だからメリッサはジェムとまだ結婚していないのです。
ボクシングデーの翌日、バートは朝寝坊をした。
昼まで寝ていたとしても、どうということもないような気がするのだが、生真面目なバートにとっては寝坊は由々しき問題だ。
彼が昼近くまで眠っているのは、前の晩によく眠ることができなかった場合だが、そうした日、目を覚ましたバートの機嫌は最悪だ。まず時計を見て青ざめ、次に私が彼を起こさなかったことを詰り、その延長線上で、寝坊した責任が私にあると主張する。
つまり私が彼を眠らせなかったせいだというのだが、それは些か勝手な主張ではないだろうか。
バートが眠っていない間、私だって当然眠ってはいないわけだから。
だがバートの意見だと、私の場合、昼間に眠っていたりするので公平ではないらしい。
まあそれはともかく、勤勉なバート君もクリスマス・シーズンくらい、朝寝坊をしてもかまわないのではないか。
私は彼を起こさないようにそっとベッドを抜け出すと、ガウンをはおった。
たぶんバートが朝寝を嫌う理由のひとつには、私達の関係を大家のミセス・マリナーに知られたくないという気持ちもあるのだろう。彼女が起きる前に、私をベッドから追い出して、きちんとしておきたいのだ。
ミセス・マリナーが私とバートの、言うなれば非合法な関係を了承していることを、バートは知らない。私がわざわざ、ウィグモアのこの部屋をバートのために借りてやったのは、ミセス・マリナーが大家だからなのだが。
彼女と私は似たもの同士で巧くいっている良い例で、つまり彼女にも同性の恋人がいて、それを息子にはそれを知られたくはないのだ。
それに彼女はなかなか旨いコーヒーをいれてくれるし、私は彼女にチップを弾む。この良好で安定した関係が崩れるならば、もっと先に私とバートの関係が破綻しているにちがいない。
熱いコーヒーを盆にのせて寝室に戻ると、バートの寝顔を眺めながら時間を過ごした。
彼は仔犬のように眠っている。きゅっと目をつむり、とにかく一心に眠っている、という感じ。
バートといると、時折自分は幸せなような気分になる。幸せな、錯覚だ。
そしてミセス・マリナーのコーヒーは、この錯覚を本物めかしてくれる。
クリスマス・シーズンは、ずっとハウィックで過ごす予定にしていた。
もちろんクリスティナが私とともにクリスマスを過ごしたいと願っているとは思えなかったが、それでも私としては彼女と過ごすしかなかったのだ。
待降節の頃から、私はかなり憂鬱で不安定だった。クリスティナのためのプレゼントを選ぶことすら、正直苦痛だった。
何を選んだところで、彼女が微笑まないことを知っていた。
そして彼女は、予想通り、私には一度も微笑みを見せてくれることなく、クリスマスの朝に、母方の親戚であるスタットン家の招待を受けて出かけてしまった。まだ体調も思わしくないのに、新年はそちらで過ごすつもりだという。
クリスティナは、私を惨めにする方法を良く知っている。彼女は私に似ているのかもしれない。巧みにひとを傷つける。まだクラリスを愛していると自覚していなかった頃、私もよくそういうひどいことをした。
もっとも私はクラリスよりもしたたかだから、置き去りにされたあと、二日ほどロンドンに戻ることにした。
深夜、この部屋に忍び込んで、眠っているバートをキスで起こした。半ば夢のなかのバートは私を見つめて、不思議そうに瞬いたが、厭な顔はしなかった。
抱きしめてもう一度、今度は額にキスをして、そのまま眠った。数日ぶりに良く眠れて、目覚めたときには安らかで、幸せの幻影に微笑みすらした。
十時頃、訪問者があったとき、さして歓迎すべき気持ちにはならなかったのだが、バートを起こしたくはなかったから、仕方なく応対に出た。
訪ねてきたのは、バートの密かな想い人ジェイムズ・グレイ氏の婚約者メリッサだった。
「まあ、サー・アルジャーノン! 驚きましたわ。ロンドンにはいらっしゃらないと聞いていましたもの」
黒髪を肩のラインで切りそろえたメリッサ・ライリーは、なかなか魅力的で愛らしいご婦人だが、社会的な活動を体験してしまった女性にありがちな欠点の持ち主で、つまり遠慮を悪徳のひとつに数えてしまっている。
バートはまだ眠っているので今は会えないと伝えると、具合が悪いのではないかと勝手に心配しだして、そのまま寝室にまで踏み入りそうな様子をみせた。
「だってバートがこんな時刻まで眠っているなんて。クリスマス・ディナーにも来てくれなかったし、心配していたの」
意外だった。
バートはなぜグレイ家のクリスマスの招待を断ったのだろう。私が不在の間は、最愛のジェム・グレイと過ごす良いチャンスのはずだ。たとえ彼が最愛の婚約者と寄り添うように笑いあっていたとしても、バートはそういう点では嫉妬したりしないらしい。なにしろ恋敵のメリッサにも、彼はとても懐いていて、屈託のない笑顔をみせる。
私にはけっして見せないような笑顔を。
それはともかくとして、私は少し心配になった。ひょっとしてバートは本当に具合が悪いのだろうか。
「私、看護婦の経験もありますから、様子をみるだけでも」
「大げさなことをすると、バートを困惑させますよ。もしも本当に具合が悪いようならば、私がちゃんとした医師を呼びます。心配はいりません」
メリッサはかちんときた様子で、眉をはねあげた。
もともと彼女は私のことを好きではない。
そして私と彼女は、きわめてバランスのとれた関係を保っている。つまり、私も彼女を好きではない。
ふたりしてこの世で二番目に魅力的に見える微笑、つまりは社交辞令的なそれをぶつけあって、彼女よりも数段社交的経験――即ち欺瞞的自己主張に長けた私が勝利をおさめた。
メリッサはバートに会えないのを心底がっかりしているようだった。
未来のグレイ夫人はバートを実の弟のように可愛がっている。これだけ勘の鋭い女性なのに、なぜバートが自分の婚約者に想いを寄せていることに気づかないのかは不思議だ。
「ピーターは、バートと仲良くなれると思ったのに……」
「ピーター?」
「ビーグルの仔犬なの。友人がおかしな詐欺にあって、仔犬を二十匹も押し付けられてしまったのよ。詐欺の方はジェムが担当しているけど、仔犬達を放ってはおけないでしょう? 私、世話をしてくれるひとに一匹ずつ預けているの」
少し興味を引かれたので、私は犬をみせてくれるように頼んだ。
メリッサは馬車に戻ると、籠のなかから生後三ヶ月ほどの小さな生き物を抱きあげた。
「ピーターよ。かわいらしいでしょう?」
ピーターは自分のことが話題になっていると分かったのか、ぱたぱたと尻尾を振った。茶色の瞳は明るく、愛嬌のある顔をしている。仔犬独特の甘ったるい匂いがした。抱いてみると殆ど重さがなくて、柔らかだ。自然と微笑んでしまう。暖かな幸せが心地良い。
仔犬はミルトン邸で引き取っても良いと告げると、メリッサはぱっと顔を輝かせた。とてもわかりやすい女性ではある。
バートには、彼女の来訪を告げておくと言って、私は礼を失することなく、彼女が馬車に乗り込み、いってしまうのを見送った。
さてピーターだが、この小さな生き物はきっと誰からも愛されるにちがいないと私は疑わなかった。ミルトン邸の執事は確か犬が好きだったし、バートも気に入ったならば遊びにくればいいのだ。
バートはミルトン邸をあまり好きではないらしいが、ピーターはそれを改善してくれるかもしれない。
バートと私は週に二度ほど逢瀬の機会をもつ。食事をともにして、そのあとはたいていウィグモアの彼の部屋で過ごす。別に悪くはないのだが、ベッドの問題がある。いつかこの点はバートとよく論じ合いたいのだが、以前切り出し方を間違えたので、当分は先送りになりそうだ。
つまり、ウィグモアのベッドもけっして粗悪なものではない。バートの以前の下宿のに比べたら格段に良いものをいれさせたのだが、それでも――と私はミルトン邸のベッドの長所、寝心地の良さに加えて、ゆったりとしたベッドの提示する可能性について語ったのだが、結果、バートは真っ赤になり、瞬く間に機嫌を損ねてしまったのだ。ピューリタニズム的道徳観の鉄則は、「実際に行っていることであっても言葉にはするな」、なのかもしれない。
まあ、それはともかくとして、私は彼の寝室に戻ると、ビーグルの仔犬をベッドの上におろした。
ピーターは、とことこと小さな足でシーツを踏みつけて歩き、バートの顔にくんくんと鼻を寄せると、ぺろりと頬を舐めた。
バートは目を覚まさない。
仔犬はぐいぐいと湿った鼻で、バートの頬を押したり、ぺろぺろと口元を舐めたりする。
「や……」とバートは小さく声をあげた。顔をそむけているつもりなのか、いやいやするように首を振った。
「もういいかげんにしろってば、アルジー……」
私は軽く拳をにぎり口元にあてた。笑いを堪え、バートの寝言の続きを聞こうと耳をすました。
だがバートはぱちり、と目を開けてしまった。
ピーターと目が合う。
と、バートはうわわっと頓狂な声をあげて、手足をばたつかせたかと思うとベッドから転げ落ちてしまった。
仔犬は驚いたふうもなく、遊んでもらっていると勘違いした様子で、大はしゃぎで小さな尻尾をちぎれんばかりに振って、すとんとバートの上にとびおりた。というよりもやはり、シーツから滑り落ちたという方が正しいだろう。
私はベッドに腹ばいになって、バートと仔犬を見下ろした。
「バート。私はそんなふうにきみの顔を舐めまわしたことはないけどね」
寝言のことなど覚えていないバートは、何のことかわからない様子で、いやそれよりも、私の言葉を聞いていなかったようだ。
仔犬の熱烈な愛情表現から逃れようと必死になっている。両手を床について、うしろに下がろうとしているのだが、仔犬はバートの上にのっているのだから、はっきり言って無駄な抵抗だ。
泣き出しそうな顔をして、バートは大きく首を振る。
「や……」
「そんなふうに怯えた顔をするもんじゃないよ。嗜虐趣味のある悪い男にさらわれて、いけないことをされたらどうする気だ?」
すっかりいけないことをしたい気分になっていたが、今実行に移すとあとが厄介な気がしたので差し控えた。バートはけっこう頑固なところがあり、本気で機嫌を損ねると、なかなか手ごわい。
バートは私の方を見上げて、悲痛な声をあげた。
「やだ……アルジー!! わ、わっ。とって……これ……やだっ」
いまや、本当に目に涙を浮かべてていた。
「嫌いなんだ。犬」
冗談ではなく、本気で苦手の様子だった。仔犬を抱き上げてやると、やっと小さく息をついた。涙をぬぐいながら、小さく尋ねる。
「アルジーの犬?」
「いや、ミス・ライリーからだ。暫くの間、預かって欲しいと言っていた。きみが犬を嫌いだと知らなかったのかな」
バートは少しばかり情けない顔をして、諦めたふうにため息をついた。
「メリッサ……忘れているんだと思う……たぶん明日か明後日くらいには思い出すと思うけど……彼女、ちょっとあわてんぼうなところがあるんだ」
否定すべき点はない。確かに彼女は有能で勘が鋭い。自分や自分の愛する者への敵意は、直感的に嗅ぎわける。美しい黒の瞳に刃を隠して、微笑む術も知っている。それでも確かに「あわてんぼうなところ」はあるのだ。
だがメリッサのことなど、どうでもいい。私は機会を逃さず、提案した。
「仔犬はミルトン邸で引き取ってもいい。これからきみも一緒においで」
「ミルトン邸に?」
バートはピーターの問題にけりがつくことにほっとする一方で、不満顔で聞きかえす。
「だけどなんで僕が一緒に?」
私はピーターを彼の鼻先に突き出した。
バートは、わわっと情けない声をあげて仰け反る。
「バート、この仔犬はきみのもとに届けられたのだから、当然責任はきみのもとにある」
「勝手に受け取ってしまったのは、アルジーじゃないか」
「寝坊したのはきみだよ」
「それだって、アルジーがあんな時間に起こすからじゃないか」
「起こしたかもしれないが、眠らせないようなことはしていないよ」
「それでも! いつも勝手なんだ。昨夜はひとのことは起こしておいて、そのまま僕を枕にして寝ちゃったじゃないか。僕はあのあと、眠れなかったんだ」
「そうだったのか。どうせ眠れないのだったら、もっと有意義に過ごせば良かったってことだね。いつもみたいに」
「いつもみたいなのも、別にいらない」
子供のような膨れっ面をして、上目遣いにこちらを睨む。『いつも』の記憶が明瞭になってきたのか目元がほんのりと朱にそまったが、それでも私に対する非難の気持ちはかわらなかったようだ。いやますます強くなったのか、口調が幾分きつくにる。
「とにかくあんたは勝手すぎる」
この告発を放った唇にはキスを返し、私はにこりと微笑みかけて、彼が次になすべきことを悟らせた。
「とにかく支度をしたまえ」
バートはしぶしぶとだが動き出す。少しばかり頑固なところは彼の魅力で、結局のところ素直なのは彼の長所なのだ。
そして。
私達はミルトン邸に向かった。昨日のうちに連絡して支度させておいたクリスマス・ディナーは、バートをおおいに満足させた。
ターキーやプディングといった、聖誕祭を思い出させるディナーを見て、バートはわくわくした様子で、少し照れたふうな笑顔を見せた。私がくすりと笑うと、慌てて幼い表情を隠して取り澄ましてしまったが、食べ始めたバートは、まるきり子供の顔をしていた。
私の方は、食事よりもワインを楽しみながら、バートに尋ねた。
「クリスマス、グレイ氏のもとには行かなかったのかい」
「行くつもりだったけど……」
バートは顔を曇らせた。目を逸らして、言葉を曖昧に濁らせる。
何でもないふりをしているが、やはりグレイの結婚は、バートにとっては苦痛なのかもしれない。
食事を終えると、居間で寛いだ。バートは頑として酒を飲もうとはしないので、ココアを用意させた。ピーターにはミルクを。バートが怖がるので、仔犬は使用人達の食堂にいて皆にちやほやされているようだ。
バートは窓際のピアノの椅子にかけていて、ココアのカップを両手で包み込むようにしていた。ぽつんと尋ねる。
「アルジー……ロンドンにいても大丈夫なの?」
「明日の最終で戻るよ」
「そう」
バートはふ、と顔をあげる。もの問いたげな目で見つめた。
「ロンドンには用があったんだろ」
「もちろん」
「こんなことをしていていいのか」
「もちろん」
私はチェスターフィールドの長椅子に身を沈めたまま、にこりと微笑み、ポートのグラスに唇を寄せた。当惑顔のバートに言う。
「きみと過ごすために来たのだからね」
バートは警戒した様子で、顔をこわばらせる。いつでも優しい言葉に、彼は怯えた子猫が毛を逆立てるような反応しか示さない。
「バート、ここに……」
おいでと招くと、私の意図を明確に察して、バートは小さく身をすくめた。
「こんなところでいやだ。それに……こんな時間に……」
「今年最後の夜だよ」
私達がともに過ごす。
「恋しているふりをすれば、昼間も夜のふりをしてくれる。私達の望むままに」
するとバートはむっとした顔つきで、唇を尖らせる。
「あんたの望むまま、だ」
「おいで」
両腕を差し伸べて、彼を招く。
すねた顔をして、それでもこの腕を拒まないバートにキスをする。
微かに開いた彼の唇を舌先で舐めて、低く尋ねた。
「ピーターみたいに舐めて欲しい?」
返ってきたのはクッションで、頭を思い切り殴られた。
怒っている顔もかわいらしい彼の額に軽く接吻した。傾きかけた彼の機嫌は少しもとに戻る。
バートの望みを聞いてやるふりをして、寝室に移る。つまり私とて、その方が好ましいのだけど、我侭をきいてやるふりをするのも楽しいから。
そして私達は、互いに恋をしているふりをする。
深くくちづけを交わして、それから――
恋人達の夜を招く。
end
イラスト:ざくろ君